公開: 2026年4月06日
更新: 2026年4月06日
古代ギリシャの数学者であるアレクサンドリアのエウクレイデス(ユークリッドとも呼ばれている)は、幾何学の体系を作り上げ、「原論」と呼ばれる著作を後世に残こした。この「原論」では、対象疑う余地のない「公理」と
39歳ごろ、プラトンは、ギリシャを離れ、イタリアに渡って、ピタゴラス派に学び、40才の頃、アテネのアカデメイアに学園を設立した。そこでは、教師と生徒の間での問答を中心とした、対話的教育を主体として、天文学、生物学、数学、政治学、哲学等が教えられていた。
プラトンが60才の頃、17才のアリストテレスが、アカデメイアに入門し、プラトンが死ぬまでの20年間、学び続けた。プラトンの死後、アリストテレスは、アカデメイアを去った。
60才ごろ、プラトンは、2回目のシラクサ旅行に出た。シラクサのディオニシオス2世は、プラトンを招き、哲人政治の実現を目指したが、流言飛語のため追放され、計画は頓挫した。プラトンが66才の頃再びディオニシオスの強い希望を受け、3度目のシラクサ旅行に出たが、政争に巻き込まれ、プラトン自身が軟禁された。プラトンは、ピタゴラス派の政治家の助けをえて、アテナイに帰った。その後、プラトンは、著述とアカデメイアでの教育に力を入れ、紀元前347年、80才で没した。